米田柔整専門学校|国家資格 柔道整復師 スポーツトレーナー|愛知県名古屋市

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至高の学び

60年以上の歴史

米田病院との関わり

病院母体だから可能な トップレベルの学びと就職

米田柔整専門学校は同グループの整形外科病院・クリニックと連携しており、臨床現場で実践的な指導を行っています。数ある柔道整復師養成学校の中でも、病院母体の学校は全国で本校しかなく、極めて貴重です。  
 
実際に病院で活躍する医師やスタッフによる授業が受けられるほか、病院での学生実習や卒業後の研修・就職制度も充実。昨年度卒業生のうち大多数が医療系へ就職し、様々な医療分野で活躍しています。  

また、開校以来60年の間に先輩方が開業された接骨院とも積極的に情報交換を行い、医接連携(医療機関と接骨院の連携)も深めています。

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医療現場の最前線
米田病院とは

米田柔整専門学校は同グループの整形外科病院・クリニックと連携しており、臨床現場で実践的な指導を行っています。数ある柔道整復師養成学校の中でも、病院母体の学校は全国で本校しかなく、極めて貴重です。  
 
実際に病院で活躍する医師やスタッフによる授業が受けられるほか、病院での学生実習や卒業後の研修・就職制度も充実。昨年度卒業生のうち大多数が医療系へ就職し、様々な医療分野で活躍しています。  

また、開校以来60年の間に先輩方が開業された接骨院とも積極的に情報交換を行い、医接連携(医療機関と接骨院の連携)も深めています。

歴史と伝統

医師の立場から柔道整復の学問に貢献

米田柔整専門学校は、創立以来60年以上にわたり柔道整復師を専門に養成してきました。

医師である初代校長 米田一平の著書は柔道整復師の教科書の参考とされ、米田流の整復法を学ぶために全国各地から学生が集まりました。

その後、時代の変遷にも柔軟に対応しながら、常に「今あるべき柔道整復師の姿」を見つめ続けてきた私たち。

これまで本校が築いてきた歴史と伝統、そして後継者の育成にかける熱い思いについて、お話します。

柔道整復師の 
社会的立場の基盤を構築

柔道整復師という職種が国に認められようになったのは、大正時代の終わり頃です。
ちょうどその頃、「米田柔整専門学校」のルーツである「米田道場」「米田接骨院」を、柔道と数学の教員をしていた米田松三が開設しました。松三は全国の同士たちとともに柔道整復師の公認運動に励み、柔道整復師の社会的立場の基盤を作り上げていった立役者でもあります。

晩年には柔道整復師養成校を開設するための準備を進め、惜しまれつつ死去した後、その志を引き継ぐことになったのが松三の息子たち、米田一平と米田達也でした。

一流の講師陣を集め養成学校を設立

柔道整復師という職種が国に認められようになったのは、大正時代の終わり頃です。 
ちょうどその頃、「米田柔整専門学校」のルーツである「米田道場」「米田接骨院」を、柔道と数学の教員をしていた米田松三が開設しました。松三は全国の同士たちとともに柔道整復師の公認運動に励み、柔道整復師の社会的立場の基盤を作り上げていった立役者でもあります。 
 
晩年には柔道整復師養成校を開設するための準備を進め、惜しまれつつ死去した後、その志を引き継ぐことになったのが松三の息子たち、米田一平と米田達也でした。

米田一平が残した柔道整復師の教科書

その後、初代校長である米田一平は、医師という立場から柔道整復師の学問に大きく関与していくこととなります。 
昭和39年、一平が「全国養成施設協会柔整部会」の部会長であった頃に発刊された教科書「柔整理論」、また昭和47年発刊の「図説 骨折脱臼の整復と治療(天の巻)」など、現代でも柔道整復師の教科書として参考にされる名著を残しています。 
 
古来の整骨と伝統の技術を現代医学の水準へ適応させ、国民医療の一翼を担っていく新時代の柔道整復師の育成を目標とし、その米田イズムは今なお脈々と受け継がれています。

時代を牽引した米田流の徒手整復術

「佛手仏心」、これは米田一平の言葉で「仏のような手と、仏のような心で患者さまに接する」を意味します。 
 
「中部柔整専門学校」だった当時、一平は校長としてだけでなく、講師として教鞭も執っていました。 
また、米田流の徒手整復術を学ぼうと多くの講演会を依頼され、日本中を飛び回っている時期でもありました。本来なら夜6時~9時に終わる授業が、10時すぎから始まることもあったそうです。 
 
当然、終電がなくなりますが、それでも一平の講義を受けたい学生たちは全国から集まってきました。型破りでしたが、患者さまにはもちろん、学生たちへの愛情も深かった一平。ここでも「佛手仏心」の思いにあふれ、直接学生たちに手ほどきができる授業に、熱意を注いでいたからこそのエピソードです。

米田柔整専門学校の現在と 
後継者の育成

一平の息子である、米田實・米田忠正はともに医師の道へ。一平の死去後、それぞれ学長・理事長に就任しました。 
 
関連施設の「米田病院」・「よねだ整形リハビリクリニック」では、本校卒業生からの紹介患者も多く、現在もたくさんの卒業生と情報提供を行い、地域に密着した医療を提供。年間1万名以上の整形外科疾患(手や足の骨折・脱臼、腰痛など脊椎の異常、関節疾患など)の患者さんを診療し、授業では医療現場の生きた経験・知識を講義内容に取り入れています。 
 
先々代、先代の意志を受け継ぎ、柔道の深い造詣のもと親身になって柔道整復師の未来を作り上げていくこと、伝統を守りつつ時代に乗り遅れない柔道整復師を育成することを目標に、後継者育成に力を注いでいます。

理事長 米田忠正

・日本体育協会公認スポーツドクター

学長 米田實

・医療法人米田病院理事長 
・米田病院院長 
・バルセロナオリンピック日本柔道男子チームドクター 
・アトランタオリンピック日本柔道男子チームドクター 
・公益財団法人全日本柔道連盟医科学委員会特別委員 
・日本整形外科学会整形外科専門医 
・日本整形外科学会リウマチ認定医 
・日本整形外科学会スポーツ認定医 
・日本整形外科学会運動器リハビリテーション認定医 
・日本整形外科学会公認スポーツドクター 
・身体障害者認定医 
・講道館柔道六段 
・米田道場館長 
・NPO法人「柔道で育む心と身体」理事長

米田柔整専門学校 YONEDA JUSEI

〒451-0053 愛知県名古屋市西区枇杷島二丁目3番13号

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愛知県名古屋市西区枇杷島二丁目3番13号

©学校法人米田学園