パラオでの救護活動記録
副校長の片桐です。
暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
さて7月初旬、パラオ共和国で開催された
「パシフィックミニゲームズ」に、救護スタッフとして参加しました。
メンバーは、同期(38A卒)の河原先生、西脇先生、そして私(片桐)の3名。
きっかけは、河原先生(当校の非常勤講師、接骨院3院経営の総院長)の知人で
パラオと深い関わりを持つ医師の方からのお声がけでした。
学生時代からの付き合いが30年になる同期であり、
普段は別々の職場で働く仲間が、再び同じ現場に立つ――
そんな不思議で感慨深い時間となりました。
そして、日本人として初めてパラオ選手団の選手村に入るという
貴重な経験もできました。

「衛生材料の準備」

「パラオ共和国選手専用の選手村」
選手村内ミーティングルームに設けられたスペースで活動を行いました。

「包帯で固定する私」

「病態の説明をする河原先生」

「評価している西脇先生」
パラオ共和国とは
パラオは太平洋西部に浮かぶ美しい島国で、
透き通る海と豊かな自然で知られています。
人口は約18,000人。
かつては日本の委任統治領であり、
日本とも深い歴史的つながりがあります。

パシフィックミニゲームズとは
4年に一度、南太平洋の島々で行われるスポーツ大会で、
地域の友好や競技力向上を目的にしています。
今回は23ヵ国、2,000人以上が参加しており、
柔道、陸上、水泳、野球、レスリングなど
多くの競技が行われ、熱戦が繰り広げられました。


現地での活動と出会い
現地で最もお世話になったのは、
パラオ大統領特別補佐官を務められている知花氏(後方左から3番目)です。
救護活動の調整や現地案内をはじめ、多方面でご尽力いただきました。
さらに、毎日会場まで送迎してくださったドライバーの方、通訳の方、
そして温かく迎えてくださった現地の方々にも、心より感謝申し上げます。

柔道指導
大会期間中、各国柔道チームの合同練習での指導依頼がありました。
河原先生(七段)による柔道精神に関する講話と技の指導が行われ、
私も約20年ぶりに道着を着用し、受け身を取りました。
選手たちの輝くような眼差しに触れ、胸が熱くなりました。
あのまっすぐな視線を、久しく見ていなかったことに気づかされ、
深い感動を覚えました。

「河原先生による柔道精神の講話」

「技を指導する河原先生、投げられている私」

「練習後の集合写真」

「道着はパラオチームに寄付」
活動の合間に見たパラオ
限られた時間の中で、透き通るエメラルドブルーの海を訪れました。
波の音、潮風、そして太陽の光そのすべてが心を洗うようで、
パラオの自然の力を全身で感じることができました。

「透き通る海と白い砂浜」

「船上から望むパラオの美しい島々」

「この先には戦争の激戦地・ペリリュー島」
戦争の激戦地・ぺリリュー島。
今回は上陸できませんでしたが、この地で戦った人々が同じ太陽や夕日をどのような思いで見つめていたのかと考えると、胸が締めつけられるような感慨を覚えました。
特に今年は戦後80年という節目の年。
改めて平和の尊さと、その重みを深く感じる時間となりました。
次回パラオを訪れる際は、必ず足を運びたいと思います。

「夕陽に染まるパラオの海」
柔道整復師としての原点
パラオの選手への施術を通して、
柔道整復師としての“本来の仕事”
に集中できたことは、大きな喜びでした。
久しぶりに現場で施術に専念できる環境は、
私にとってかけがえのない時間でした。
選手の皆さんの温かい反応や感謝の言葉、笑顔に励まされ、
この仕事の意義を改めて実感しました。

「メダルを獲得したレスリング選手たち」

「パラオ共和国大統領と河原先生」

「大統領から感謝状を受け取る西脇先生」
まとめ 〜戦後80年に思うこと〜
今回の経験は、私にとって単なる国際大会での救護活動にとどまらず、
「人と向き合う専門職」としての原点を再確認する時間となりました。
そして、戦後80年という節目の年に、パラオという歴史的にも深い縁のある地で活動できたことに、大きな意味を感じています。
この経験を、今後の学校運営や学生指導にしっかりと活かし、
平和の尊さを次世代にも伝えていきたいと思います。
残暑厳しき折、皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
片桐