米田病院との関わり
病院母体だから可能な
トップレベルの学びと就職
米田柔整専門学校は同グループの整形外科病院・クリニックと連携しており、臨床現場で実践的な指導を行っています。数ある柔道整復師養成学校の中でも、病院母体の学校は全国で本校しかなく、極めて貴重です。
実際に病院で活躍する医師やスタッフによる授業が受けられるほか、病院での学生実習や卒業後の研修・就職制度も充実。昨年度卒業生のうち大多数が医療系へ就職し、様々な医療分野で活躍しています。
また、開校以来60年の間に先輩方が開業された接骨院とも積極的に情報交換を行い、医接連携(医療機関と接骨院の連携)も深めています。
医療現場の最前線
医療法人米田病院は、運動器疾患(筋肉や骨などのケガや病気)を中心に治療している整形外科の医療施設です。
大学病院と同じレベルの高機能MRIやCTの検査のほか、手術や入院にも対応しています。治療には手術療法と保存療法がありますが、どちらの治療を行うかについては、まず正確でスピーディな診断により適応を見分けることが重要です。ケガの程度や症状、全身状態などから総合的に判断し、手術療法となるケースもあれば保存療法となることもあります。
手術療法となった場合は、当院の医師が手術を行います。場合により、連携病院で手術を行うこともあります。
保存療法となった場合は、医師の指示のもと、柔道整復師・理学療法士・看護師等が協働し、患部の固定や処置を行います。
手術療法・保存療法どちらの場合においても、質の高いリハビリテーションを提供し、レベルの高い医療で患者さんをサポートしています。
米田病院・よねだ整形リハビリクリニックへは、スポーツ外傷をはじめ、野球やサッカーなど、さまざまな競技種目・競技レベルの選手が来院します。院長の米田實医師がオリンピックの柔道チームドクターを務めていたこともあり、柔道選手の受診も多くみられます。大相撲名古屋場所の指定病院として、毎年夏には多くの力士の診察・治療にもあたっています。
医師、その他スタッフは研究にも熱心で、「アキレス腱断裂」「腰椎分離症」に関して研究・発表を行い、世界的に最先端の診断・治療をおこなっています。
➔ 米田病院ホームページを見る
米田病院/よねだ整形リハビリクリニック
で体験できる臨床実習
米田柔整専門学校では、在学中、学生全員が米田病院での実習を受けることのできるカリキュラムをご用意しています。
実習では病院やクリニックの患者さんにご協力をいただき、病院スタッフのリハビリテーションを見学・体験することができます。憧れの職業に就く先輩の仕事を間近で見ながら、緊張感のある現場で実際に患者さんと接することで、医療人としての自覚が芽生えます。
現在、米田柔整専門学校で「柔道整復学」を教える教員の多くは、整形外科や接骨院に就職して数年間の研修を終えた、臨床経験豊富な先輩たちです。豊かな知識と確かな技術を持ち合わせた教員による講義は、柔道整復師としてのあなたの人生に多大なる影響を与えてくれます。
また、「整形外科学」や「一般臨床医学」「外科学概論」では、米田病院や他の医療機関の第一線で活躍する医師が、外来診察や手術の話を交えながら、分かりやすく高度な授業をしています。
米田病院には、米田柔整専門学校から毎年数名が就職しています。
最新の医療を現場で学ぶとともに、時代の変遷に合わせて改良されてきたギプスなどの固定方法や整復操作を日々研鑽し、3~5年間で医師に認められる高度な技術を修得していきます。研修を終えた柔道整復師たちは、開業、トレーナー、本校での教員、大学での研究員など、様々な分野で活躍しています。
米田病院は、接骨院の先生たちと良好な関係を築くことで、より患者さんに優しい医療を目指しています。
接骨院に来院された患者さんに精密検査が必要と考えられた場合、通常は近隣の病院(医療機関)へ紹介します。 米田病院へご紹介いただいた場合は、適切な検査・治療を行った後、その結果を紹介元の接骨院へ情報提供します。病院と接骨院はその後もお互いの情報提供書により連携を図り、接骨院で日々のケアをしながら、病院で定期的に医師の診察や検査などのフォローを行っていきます。
病院からの情報提供書には、ギプスなどの管理や、後療法(回復に向けた手技や運動)の注意事項や治療スケジュールなどを記載します。接骨院からの情報提供書には、柔道整復師の行った治療の内容や患部の状態などが記載されています。そのやり取りを続けることで、より丁寧で安心できる環境を患者さんに提供することができるのです。
単科ならではの専門性
柔道整復師育成のスペシャリストが揃う学校
1960年創立の米田柔整専門学校。以来60年以上にわたり、柔道整復師専門の養成校として歴史を築いてきました。
平成10年当時、全国で14校だけだった柔道整復師を育てる専門学校が、100校を超えるまでに激増した現在。単科ならではの専門性を極めながら、一貫して柔道整復師の教育に邁進してきました。
時代の移り変わりとともに、柔道整復師のあるべき姿をつねに見つめ直してきた柔軟性を持ち合わせていることも、私たちが長い年月、支持され続けてきたゆえんです。
最新の西洋医学の知識や技術を取り入れ、また法律に沿った指導内容を遵守するよう周知徹底して取り組んでいます。
米田柔整専門学校は、創立以来60年以上にわたり柔道整復師を専門に養成してきました。
医師である初代校長 米田一平の著書は柔道整復師の教科書の参考とされ、米田流の整復法を学ぶために全国各地から学生が集まりました。
その後、時代の変遷にも柔軟に対応しながら、常に「今あるべき柔道整復師の姿」を見つめ続けてきた私たち。
これまで本校が築いてきた歴史と伝統、そして後継者の育成にかける熱い思いについて、お話します。
柔道整復師という職種が国に認められようになったのは、大正時代の終わり頃です。
ちょうどその頃、「米田柔整専門学校」のルーツである「米田道場」「米田接骨院」を、柔道と数学の教員をしていた米田松三が開設しました。松三は全国の同士たちとともに柔道整復師の公認運動に励み、柔道整復師の社会的立場の基盤を作り上げていった立役者でもあります。
晩年には柔道整復師養成校を開設するための準備を進め、惜しまれつつ死去した後、その志を引き継ぐことになったのが松三の息子たち、米田一平と米田達也でした。
昭和35年、「中部柔整専門学校」が完成。後に改称し、現在の「米田柔整専門学校」の前身にあたります。
当時の厚生大臣より認可を受け、医師である米田一平と米田達也がそれぞれ初代校長・副校長に就任しました。
講師には名古屋大学医学部の教授陣を中心に、各方面の有力な学識経験者を招聘し、日本全国から柔道整復師として嘱望される人材育成に励むこととなりました。
また一平と達也は学校創設とともに「中部接骨学会」を創設。 その後、長年にわたり愛知・三重・岐阜・静岡の柔道整復師会をリードしてまいりました。
その後、初代校長である米田一平は、医師という立場から柔道整復師の学問に大きく関与していくこととなります。
昭和39年、一平が「全国養成施設協会柔整部会」の部会長であった頃に発刊された教科書「柔整理論」、また昭和47年発刊の「図説 骨折脱臼の整復と治療(天の巻)」など、現代でも柔道整復師の教科書として参考にされる名著を残しています。
古来の整骨と伝統の技術を現代医学の水準へ適応させ、国民医療の一翼を担っていく新時代の柔道整復師の育成を目標とし、その米田イズムは今なお脈々と受け継がれています。
「佛手仏心」、これは米田一平の言葉で「仏のような手と、仏のような心で患者さまに接する」を意味します。
「中部柔整専門学校」だった当時、一平は校長としてだけでなく、講師として教鞭も執っていました。
また、米田流の徒手整復術を学ぼうと多くの講演会を依頼され、日本中を飛び回っている時期でもありました。本来なら夜6時~9時に終わる授業が、10時すぎから始まることもあったそうです。
当然、終電がなくなりますが、それでも一平の講義を受けたい学生たちは全国から集まってきました。型破りでしたが、患者さまにはもちろん、学生たちへの愛情も深かった一平。ここでも「佛手仏心」の思いにあふれ、直接学生たちに手ほどきができる授業に、熱意を注いでいたからこそのエピソードです。
一平の息子である、米田實・米田忠正はともに医師の道へ。一平の死去後、それぞれ学長・理事長に就任しました。
関連施設の「米田病院」・「よねだ整形リハビリクリニック」では、本校卒業生からの紹介患者も多く、現在もたくさんの卒業生と情報提供を行い、地域に密着した医療を提供。年間1万名以上の整形外科疾患(手や足の骨折・脱臼、腰痛など脊椎の異常、関節疾患など)の患者さんを診療し、授業では医療現場の生きた経験・知識を講義内容に取り入れています。
先々代、先代の意志を受け継ぎ、柔道の深い造詣のもと親身になって柔道整復師の未来を作り上げていくこと、伝統を守りつつ時代に乗り遅れない柔道整復師を育成することを目標に、後継者育成に力を注いでいます。
・医療法人米田病院理事長
・米田病院院長
・バルセロナオリンピック日本柔道男子チームドクター
・アトランタオリンピック日本柔道男子チームドクター
・公益財団法人全日本柔道連盟医科学委員会特別委員
・日本整形外科学会整形外科専門医
・日本整形外科学会リウマチ認定医
・日本整形外科学会スポーツ認定医
・日本整形外科学会運動器リハビリテーション認定医
・日本整形外科学会公認スポーツドクター
・身体障害者認定医
・講道館柔道六段
・米田道場館長
・NPO法人「柔道で育む心と身体」理事長